Type: Icebreaker
Displacement: Approx. 20,000 tons
Length: 138 m (452 ft 9 in)
Beam: 28 m (91 ft 10 in)
Draft: 9.2 m (30 ft 2 in)
Propulsion: Diesel-electric
Four propulsion motors, 22,000 kW (30,000 hp) (combined)
Two shafts; fixed-pitch propellers
Speed: 19.5 knots (36.1 km / h; 22.4 mph) (maximum)
3 knots (5.6 km / h; 3.5 mph) in 1.5 m (4.9 ft) ice
Capacity: 80 scientists
1,100 tons of cargo
Complement: 175
Aircraft carried: 3 helicopters

Antarctic observation vessel

SHIRASE

南極観測船「しらせ」開発
プロジェクトストーリー

01南極観測船をつくれ

2009年5月、舞鶴事業所において、初代「しらせ」に続く最新の南極観測船となる新「しらせ」が竣工した。当社では我が国の南極観測船の黎明期から建造・修理を一手に引き受けてきた。ただし、引き続き、新「しらせ」の建造を担当できたのは、決して実績というアドバンテージがあったからだけではない。時代の変遷と曲折を経ながら、これまでを上回る性能をもつ南極観測船建造を追い求めたからこその成果だった。完成に至るまでに立ちはだかった壁や苦悩。そして、乗り越えたからこそ得られた達成感などを、紹介しよう。

南極観測船「宗谷」

02日本の南極観測を担う

日本の南極観測隊はこの50年の間に、昭和基地近くに降った大量の隕石の研究、オーロラの発生メカニズムや、氷床研究による過去約32万年の気候変動の解明など、国際的にも大きな学術的成果を挙げている。ただし、そうした結果を得るためには、大量の機材類が不可欠だったのはいうまでもない。具体的には、各種の計測機械をはじめ、燃料、建築資材、食糧、小型飛行機、ヘリコプター、雪上車などがそれにあたる。これら1,000トン以上にもおよぶ物資が毎年昭和基地に運ばれる。これらの膨大な物資はどのように南極へ輸送されているのか?その手段はたったひとつしかない―それが南極観測船だ。南極の氷海を埋め尽くす氷を砕きながら力強く推進していく、巨大な輸送船(「しらせ」の基準排水量は12,500トン)である。

昭和基地
※東北大学広報誌「まなびの杜」より

03プロジェクトの始まり

商品を製造する前には、どの業界でもクライアントの要望を聞いて交渉を繰り返し、最終的に他社との戦いを制して受注、契約するプロセスが不可欠だ。船という商品も同様。ここで活躍したのは、とりわけ大規模な貨物船やタンカーなどのプロジェクトを取りまとめ、多くの受注実績を残した営業チームだった。
南極観測は学術調査の一環として文部科学省が担当していたので、それに必要な観測船も文部科学省が予算を司る一方、船の運航は防衛省がオペレーティングする。初代「しらせ」の後継艦については、確かに日本が南極観測から撤退することは考えにくかったので、いずれ予算が認められることは分かっていたが、いつ認められるかが問題だった。

JMUには、初代観測船「宗谷」の改造に始まり、「ふじ」、初代「しらせ」と建造・修理してきた実績もあったので、有利な立場にあったのは間違いなかった。しかし、仕事に“絶対”はない。他社が追随してくる前に決めるべく、受注の実現に向けてできることは、まず、初代「しらせ」の修理実績を調べ、自社が他社に比べていかに優れた実績をもつこと、また津の研究所をはじめとする技術陣が他社に秀でた砕氷関連の技術を持っていること、さらに当社が信頼できる会社であることをプレゼンテーションしてまわることだった。

各地を駆け巡った。文部科学省、南極観測を実施している国立極地研究所、南極観測船の基本設計・運航・修理などを担当する防衛庁(現:防衛省)、海上自衛隊の海上幕僚監部、横須賀地方総監部、そして鶴見工場、津、舞鶴の各事業所・・・。タフなネゴシエーションによる努力は、次第に具体的な姿を描いていった。

南極観測船「ふじ」

04ほぼ、ゼロからの開発

一方、技術チームでも準備は始まっていた。しかし、初代「しらせ」後継船の受注に向けた準備を始めよという指示があったが、何から始めればいいか分からない。とりあえず、当時地下にあった書庫にもぐりこんで、20年前の先輩達が残した設計資料をかき集めて整理する作業からのスタートだった。関連する資料を全て会議室に持ち込み、ばらばらになっていたものはこれから使いやすいようにファイリングしなおす作業を行う。準備チームが発足したとはいえ、現実には皆それぞれが抱える目の前の仕事に追われており、いったい後継船はどんな船になるのかも皆目分からず、具体的な作業は何も出来ない状況だった。しかし、イメージづくりをしなければいけない。

そこで、取り掛かったのは、南極観測船初代「しらせ」とはどんな船かという分析だった。そのために国立極地研究所や防衛省の関係者、それに毎年帰国後に検査修理のために帰ってくる乗員たちに様々な話を聞いて回った。実際に南極に行く機会の無いメンバーには貴重な情報だった。また、初代「しらせ」の南極観測支援行動記録は公開されていたため、ここから定量的なデータは可能な限り吸い上げ設計データとしての分析も行った。それにより時代の変化にともなって最近の初代『しらせ』が抱えている問題点もだんだん見えてきた。

後継船の設計自体は防衛省で行われたが、JMUとしても、どのような要求があっても対応できるように、世界の最新技術の動向も調査した。また、自分たちの手で確認しておく必要があるものをあらかじめ抽出して、計画的に試験や解析を行い、少しずつ準備を進行。氷海技術の世界は北欧、米国、カナダを中心に多くの技術者がいるが、彼らとの情報交換も欠かさなかった。さらに米国沿岸警備隊の最新鋭砕氷船の見学や技術者たちとの意見交換も独自に行った。

南極観測船初代「しらせ」
氷海水槽試験
砕氷船模型試験(積雪)

05立ちはだかる、技術の壁

調査の結果、初代「しらせ」のいろいろな弱点も分かってきた。一方で、その弱点は乗り越えなければいけない壁として、開発メンバーの前に立ちはだかった。それは氷ではなく雪に苦戦しているという問題だった。技術メンバーは技術研究所と協力して、数々の試験も行い雪による抵抗がどのようなものか、それを低減させるにはどのような方法があるかを検討した。なんども仮説と検証を繰り返す中で、見えてきた答え。それが「船首部散水システム」だった。

初代「しらせ」は3ノット(時速約5.6km)の速度で、厚さ約1.5mまでの海氷なら次々に砕氷しながらノンストップで推進するという、世界トップクラスの能力を備えている。しかし、大陸に近づいてくると、さすがの初代「しらせ」も停止を余儀なくされてしまう。厚さ1.5m以上の海氷が徐々に増えてくるからだ。ではそこから先は、どうやって推進していくのか?そこで用いられる特殊航法が「ラミング」だ。観測船が分厚い氷帯に出くわした際、船体をバックさせ、「助走」して海氷に突入し、運動エネルギーを利用して砕氷する推進方法である。

しかし、南極では意外に降雪が多く、当然、海氷上にも降り積もっていく。氷自体が2年、3年と溶けずに集まってさらに強固な氷塊となるのもさることながら、海氷上の雪が生む摩擦抵抗が一層観測船の推進を妨害する。結果、ラミングしても氷は割れにくくなる。もちろん新「しらせ」では何とかこれを改善しなければならない。その課題解決の解が散水システムの装備だった。船首に設置されたノズルから水を撒いて、眼前の氷上にある雪を濡らして摩擦を小さくするのである。この散水システムは日本の南極観測船史上、初の試みだ。こうした高機能・新技術に取り組んだ技術チーム。省庁や関係各社へのプレゼンに奔走した営業チーム。両者の努力が結実しつつあった2005年8月、ついに「朗報」が舞い込んだ―。

氷原をいく初代「しらせ」
氷を砕きながら進む
破氷船「オーロラ」

06そして、新「しらせ」の完成へ

苦労の末、舞い込んだ朗報とは、もちろん新「しらせ」受注の連絡である。この時ばかりは開発チーム、営業チーム共に手を取り合って飛び上がった。これで初代「しらせ」時代からの歴史を絶つことなく未来につむいでいける。振り返れば実に十数年の苦労。氷海性能を追究した技術チーム。ここで、改めて新「しらせ」が越えなければならなかった技術的ハードルの高さを説明しよう。

新「しらせ」は、ダブルハル構造を採用する点が初代「しらせ」と大きく違っている点だ。ダブルハルというのは、すなわち二重船殻。万が一氷によって船体の外側が損傷しても浸水を防いだり、油が海に流出することを防ぐ構造。海洋汚染事故のリスクを減らすことができるわけだ。ただし、技術者にとってはそれが大きなハードルになった。というのは、初代「しらせ」と新「しらせ」の大きさはそれほど変わらない。つまり、ダブルハルを採用したぶん、新「しらせ」の船型への制約が増えたにもかかわらず、初代を上回る性能を備えなければならなかったのだ。

数々の難題を乗り越えて設計された新「しらせ」の建造は舞鶴事業所で順調に行われた。2009年5月に防衛省に引き渡された新「しらせ」は、同11月には第51次南極観測支援のため、満を持して南極へと出航した。そして、「しらせ」が就航して南極での任務を完了し、無事帰港した時に、修理を受け持つのは横浜事業所 鶴見工場である。少々気の早い話だが、南極観測船の寿命が約25年であることを考えると、新「しらせ」の退役は2034年前後と推測される。となれば、後継船建造プロジェクトは遅くとも2025年あたりにはスタートしなければならない。その主力になるのは今の20代の皆さん。そう、次の“ポスト「しらせ」”の物語に登場するのは、あなたかもしれないのだ。

南極観測船「しらせ」
「しらせ」の引渡し